2011年10月3日月曜日

被災から1ヶ月

熊野市紀和町の避難所となっていたコミュニティセンターが
閉鎖となる。
近隣の避難所も同様に閉鎖となり、
住民は1件の空き家に皆で暮らしたり、古くて使われていなかった市営住宅に
移る事となった。

これから先、そこでどれくらい生活することが出来るのだろう。
子供達を抱えた世帯、高齢者の世帯にとって台風12号の水害から
ずっと復旧作業、仕事、子育てに追われ、そのうえ暮らす場所さえも
転々とさせられる。
水害を逃れた荷物を抱えて移動するのは大変な労力だ。

その反面、浸水した市営住宅の床張りと畳み入れだけは進んでいく。

この場所に戻れる?
暮らしやすかったこの場所に戻りたい思いは山々だけれど、
そばにある川の川底は上がり、また大雨が降れば
すぐにまた浸水するだろう。
実際、台風15号の時には水位が上がりだしてから
およそ2時間で避難勧告レベルまで急激に上昇した。

子供達だけで留守番している時だったら?
家具や家電を買い揃えても、また同じことになったら......。
そう思うと、その場所に戻る気がしない。

子供達が楽しそうに通い、のびのびと育っているこの町を
離れる事はまだ考えていない。
けれど、もともと公営住宅が少なく、あっても古くて快適に暮らせる
ようなものではない。

空き家もあるが、なかなか皆手離さないのが現状である。

けれど、市はこの町に5億円の投資をして物産の加工所を建てたばかり。
今後、温泉を持つ2つの宿泊施設はリフォームや新築が予定されている。
そればかりか、奈良県を通り本宮へと抜ける道の整備も決まっている。
今まで和歌山県へと観光バスが抜けていくのは海沿いの42号線だけだったが、
今後は311号線を通り紀和町を抜けていくコースが出来上がるわけである。
熊野から紀和町を抜ける311号線の道路は今回の台風12号で大きく崩れる事も
無かった強い道路である。
こういう道を大事に整備し、なおかつ紀和町の住民が快適に、安全に暮らし
地元で働くことが出来れば、移住したい町となれると思っている。

熊野市から車で30分。
十分通勤圏内ではあるけれど、緊急事態に自宅に帰れない、
あるいは職場に行くことも復旧することも困難になるようではいけない。
やはり地元に働き手がいて、宿泊客や従業員を皆で守れる体制が必要ではないのだろうか。

孤立しやすい土地である為、自主防災の整備は不可欠だけれど
様々なケースを想定して安全な場所に住宅、災害時の避難所、主要な公的機関、
そして備蓄倉庫の整備をすることで、安心でのびのびとした田舎暮らしが実現する。

便利なものに頼るだけでない山里の暮らし方。 
災害時にはそういう術が役に立つものである。
電気やガスが止まっても薪がある。
水道が止まっても山水がある。
食料が入ってこなくても収穫して保存した食料がある。

普段は不便に感じる暮らしだが、そういう術も知っておくことが
本当の災害時における備えなのだと思う。

今後も台風は発生するし、年々異常気象で激しさも増している。
今回の山津波はダムによる人災であるとも言われているが、
そういうこと全てを今見直さなければ、同じ被害は再び起こる事になるだろう。

住民達の間に広がる不安感、危機感、そして怒りが徐々に大きくなっている。


2 件のコメント:

ちーかま さんのコメント...

課題は山積みですね>紀和(^^;

人口のほとんどが高齢者というのがつらいです。
お年寄りを守れる若い人がいないというのはある意味人間関係が希薄でも都会のほうがまだましなのかもしれません。

ただこのまま人がいなくなるのはもったいないですよね。
いいとこだもん紀和町。
この水害でいろいろ考えさせられてますわ私も(^^;

Unknown さんのコメント...

今回の水害で過疎が進んでいくのを、被災した人はもちろん、荘でない人も、黙って見ているしか出来ない事に皆がやりきれなさを感じ、無力感に苦しんでいます。
せめて気力と希望だけは保って欲しいのですが、私自身も自分の仕事をこなすのに精一杯で何も出来ないままです。

水害の直後は誰もが復旧作業に追われていたけれど、ちょっと落ち着いた今が精神的につらくなってきているようです。

諦めるしかないのかなあ~。
と、思いつつも何か方法は無いものかと無い頭をひねくりまわしている今日この頃です。